岡東中央公園マスタープラン懸賞応募案

1973.10~1974.2

枚方市駅再開発ビルと官公庁を結ぶこの公園は0.47haの小公園ながら緑道の起点で、市民の顔となる憩いの場となる。

あこがれの「NYのポケットパーク」に当時できた「阪急三番街の川の流れ」を加えたスモールアーバンスペースを想定。

くらわんか船の「淀川の流れ」と「枚方パーク」を融合した対角歩行の散策路によるジグザク公園である。

 

設計概要説明書

都市公園は緑の多い美しいものでなければならないが単なる景観公園に終わらないためにその地域の利用状況に適合することが必要である。このような市街地再開発の一環の中心部を占めるオープンスースについては、あらゆる要素を含んでいるのでそれらを予測して計画がなされなければならない。

この小公園は市駅に直結した商業地域で周囲が個人の住宅などではなく官公庁、デパートなど公共の場となっている。そのため特定の地域住民ではなくあらゆる市民或いはビジターの目にさらされ、通行の頻供せられるので機能的用途は一定ではない。個人のプライベートの場から大衆の同時集中同時参加の場オールシーズンあらゆる年代に利用される。また市役所市、市民会館に接し「枚方市の庭」となるので市民性の高い象徴要素も必要となる。一般公園の場合より除外される要素としては遊園地的要素がかなり薄いという点があげられる。この計画案はこれらの性格を考慮し設計されたものではあるが、あくまでそのテーマは一般の都市公園の場合と同じくビルの壁、車の行き交う舗道に囲まれた無機空間に樹木、芝生、池、川,広場など「人間的スケールの空間」を確保し、都市空間との融合をはかることである。そして囲まれた敷地を利用して公園を設けるのではなく、その空間を拠点として緑が周囲に広がって行くようなものでなくてはならない。

この案の特色は、人工的な直線と自然の融和を図ったもので、周囲の道路と45度交叉のパターンにより、広がりと融合を示すデザインとなっていることである。

 公園の中央部に二つの池があり、南池は水源地より流れ出る小川、滝を受け入れており、すり鉢状の北池は屋外ステージとなっている。水はその下の集水ピットより水源地へと循環している。両池の中間にあるシンボルマークはステージのバックスクリーンをも兼ねているが、垂直の広がりを示すものとして視覚要素の中心となっている。敷地の高低差は流水勾配のためでもあるが、樹木のバランスとあいまって見る位置によって変化する景観を生ぜしめるためのものである。公園利用のされ方は多種多様で、小川沿いの散策、池辺の語らい、木陰の休息、緑のトンネル、日溜まりの老人、水遊びや砂場での子供、滝での待ち合せ、公園を横切る通勤者、そして野外コンサートや講演など。使われ方が多くなればなるほどその変化も顕著になって訪れる度に違った興味を与えてくれるものである。赤茶色の市民会館を借景としたこの公園の緑、水の青さ、シンボルマークの白さ、滝の音、小川のせせらぎ、木の葉のささやきが人々の心に爽やかな安らぎと共に強い印象を与え、直接肉体的に関与しなくても精神的よりどころとなって存在する限り、この計画の意図は十分にぶん果たされたことになる。


実施されたもの

都市審議会のメンバー審査経過は公表されないので、この小公園をさらに二分割する理由がわからない。2案を折衷するにしても、せめて広場と水の流れを分離せず一体で周辺街路と融合させてもらいたいものだ!

問題はこれをどうまとめるか?

市政四つの柱に向け山村市長の手腕に託された。

表彰状と賞金5万円をいただいたあと、本計画は市からは相談もなく、私の手から離れた。

 

とにかく公園計画はまとまったと報じられた。<上記事>



 工事業者任せの街づくり

 

メインステージやシンボルタワーはなく、川の流れもない。動力で上げられた水は一カ所で滝として落とされ情緒ないばかりか実にもったいない。西側にある市のメイン道路の歩道とは融合どころか直線で隔離され、ご丁寧にも陰鬱な針葉樹並木で遮蔽されている。<右写真>

市に尋ねると「落葉樹は落ち葉に手がかかる」と造園業者が言ったから針葉樹にしたそうだ。・・・枯葉を踏んで歩くパリの歩道を歩いて見ろ!

 案の定、数年経て滝の水は無駄だと止められ、その後取り壊された。また、歩道と公園を隔離していた針葉樹並木も益々繁茂して陰鬱な景観を呈し、ついに撤去された。

無計画な工事が生む無駄金はどこから出てくるのか?

昔から、枚方市は設計や構想など紙上のものには金を惜しみ、形になる工事には甘い!

本公園のメモリアル定礎はなく、請負工事者の記念碑が駅の改札広場に飾られている。

 

「官公庁団地」や「緑道」計画は商工会議所の発案だそうだ。なるほど将来を見通した構想で、枚方市の中心官庁街HBPとなるだろうと期待していた。しかし旧地権者の換地後は計画性なく放置され半世紀たっても歯抜け状態の遊休団地?となっている。

他市と比べ庁舎や公共施設、都市景観を見ても恥ずかしい限りである。 継ぎ接ぎの市役所、旧館には活用されない中庭、市民課の高すぎるカウンター、自前で造ったというコンクリート塊のような新館、そのエレベーター二基が同時に上下する!・・・これら苦情に行くと文面でと言うので紙面で申し入れた。その後なんの回答もなく半世紀経つ今もそのままである。

 

 業者に加担する「街壊し」は今も・・・

 

当時、東洋一と言われた「香里団地」の基本計画は京大の西山夘三研究所だが、幹線道路や香里園駅からのアプローチは狭い坂道で歩道もなければ街路樹もない。その後大阪万博で企業局が誘致した吹田市の「千里ニュータウン」とは大違いである。その「香里団地」は近年UR(旧公団)店舗、社宅の用地売却が助長し建て売り業者の温床となっている。団地の中心ピーコックストアー前あったシンボルツリー「百合の木」は切り倒され、細分化された駐車場付き店舗となり交通渋滞の因となっている。目抜き通りには高い擁壁と形と色を変えた売家が林立し、しかも洗濯物や布団を干す「家の裏側」が大通りを見下ろすメイン並木道の景観となるのを認可しており、誰も無関心である・・・

 

枚方市は「開発許可のもとでできた良好な住宅地」なのに建て売り業者に宅地の分割細分化を平気で許している。近年益々エスカレートし1宅地を2分割どころか十数戸もの造成をも許している。この「開発許可のもとでできた良好な住宅地」の再開発許可が強引な建て売業者の温床となって近隣居住者や自治会を苦しめている。当初定めたインフラ許容基準は何だったのか?道路の幅員不足、再造成による危害、降雨災害、給排水ガス管容量、電柱の移設トラブルなど定住者にとって心安まる時がない。狭小過密住宅を誘致すれば人口は増加し分担金や税金で市は豊になると思っている議員がいる?

再造成で隣地が傾き、市に申し入れてもその都度「業者に伝えます」の一点張りで現地を見にも来ない。市民に厳しく業者に甘い市政は、ついに「業者に荷担する市政」となってしまった。広報の市政の目標・4つの柱」はどうなったのか?

そういえば今の「広報ひらかた」表紙は公募による美しい風景だが「市政の目標」4つどころか1つも表記がない。

 

環境を金に変える「街壊し」に将来はない!

 


TS japan本社

競技設計最優秀案 / 開発許可 / 設計・工事監理

 

会社のシンボルカラーは国別に決まっており本社JapanはGreenが指定色


RWCの門扉でTをモデュールにしている


プラタナスを見ながらのアプローチ

Japanグリーンを決めるためマンセル表もって大阪市内をうろついた。この色指定にはかなり勇気がいった!


Tをシンボライズ:Planの形、窓もT字、PHもダブルT字



全館、室内気圧をプラスに保つことが要求されている

宿直の窓もT型のため障子にも一工夫


テイク・ガーデンと称する憩いの場

室内気圧を保つための付室



日経アーキテクチュア創刊750年記念コンペ佳作案

 

テーマ:「どこにでもある街のどこにもない場所」

 

どこにでもある街

どこにもない場所



万里の森計画:全国の尾根を開発から守る提案

どこにもない場所

 



社団法人日本建築家協会
「建築家のあかりコンペ」2009応募作品

 


丹波の森ツリーハウス設計競技21

 



エフィル空間コンペ 百年の家(ムクノキの家)入賞案

 





「LIVING & DESIGN 2015」
テーマ「針葉樹を使った家具」応募作品